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Now and Here

With keyword of localization, I keep 日日是好日 in my mind

お茶碗のある暮らし、ない暮らし

最近幸せについて考えている。
偶然手に取った、
偽善エコロジーという本からヒントを得た。
 

 

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)

 

 

(環境にやさしいって本当にそう言えるのか?
という鋭い切り口で、様々なデータ(著者自身が集めたものも含む)分析に基づき、
リサイクルやエコが偽善だということを著者は指摘する。)
 
 
(以下抜粋)
「第四章 本当に「環境にいい生活」とは何か
第一節 もの作りの心を失った日本人」より
 
日本人はお米を主食として生活し、朝ご飯には、
必ず納豆とおみそ汁がいるという人が多くいます。
 
 
 

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(※私のイメージを描いてみた)
 
日本人にとって、ご飯とお茶碗はなくてはならないものですが、毎朝、お茶碗を使ってご飯を食べ、食べ終わると軽く洗って割り、それをリサイクルに出している人がはたしているでしょうか。おそらく一人もいないと思います。
 
お茶碗は1回使うごとに割ってリサイクルに出さないのに、なぜペットボトルは一度使ったらそのままリサイクル箱に入れるのでしょうか?
実は私たち日本人が本来持っているはずの誠実な心、謙虚な心は、いわゆる環境問題が起きてから、音を立てて崩れていっているのです。
 
物を大切にする心は、高いお金で買ったから大事に使うとか、安いからすぐ捨てるというのではなく、高くても安くても自分が使って生活をするものを、作ってくれた方への感謝、自然からの恵みに感謝して大事に使うことなのです。
 
(以上、抜粋)
 
 
 
 
 
 
 
 
小さいころ、お茶碗が割れてしまうと
誰が悪いわけでもないのに
すごく悲しい気持ちになったのを思い出した。
 
 
 
大切にするから、壊れたとき悲しい。
大切にしなければ、何も感じなくなるだろう。
 
 
 
 
持たない暮らしという言葉が注目されるようになったけれど、
本質的にそういう暮らしをするには
それなりの覚悟が必要。
 
 
 
 
不便な暮らしは、できないかもしれない。
でも、便利な暮らしを求めるつもりはない。
 
日本で使われなくなったものが
途上国に送られてきて、それを使う彼らも気づき始めている。
以前、同僚が何気なくつぶやいた言葉を思い出す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「日本や先進国で暮らす人たちの使いまわしを
僕らは使っているのさ。」
 
 
 
 
 
 
この言葉の意味を真摯に受け止められる人が
どれくらいいるだろうか。
私は使いまわしをゆくゆくは処分する側に立たされている彼らを
当然と思いたくない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回考えた幸せのキーワードは、
【物を大切にする。】
地球の裏側の人のことまで考えられなくても
自分の生活圏内を顧みることはできるはず。